最新のウオール・ストリート・ジャーナル(WSJ)によれば、アメリカには1135人のビリオネア、つまり超富裕層がおり、彼らのメインビジネスはワイオミング州及びアラスカ州を除き、どこにでもあり、全資産は5. 7兆ドル(800兆円)ほどになる、日本のGDPや国家予算を遥かに超える金額である。ビリオネアの数は2020年には927人だったが、2024年には1135人であるから、4年間で約22%増えたことになる。しかも、その多くはカリフォルニア州に集中しており、225人のビリオネアが住んでいる。しかし皆がロサンジェルスなど都会の高級住宅街に住んでいるわけではなく、ミシシッピー州のRidgeland市やウイスコンシン州の Waunakee市にも多く、ノースカロライナ州Cashiers市にもビリオネア4家族が住んでいる。
ビリオネアと言えば、86%は男性である一方、Taylor Swiftのような女性も 150人以上いる。また、Koch Industryの承継者である Mary Julia Koch やDavid Koch Jr.のように30歳未満のビリオネアもいる。Walmartの Walton家 やHyattの Pritzker家のような有名な家族もいる。親の遺産でビリオネアになったイリノイ州の知事JB Pritzkerやトランプ大統領もいれば 、1982年にビジネスで成功した Diane Hendricksもいる。最も高齢のビリオネアはGeroge Josephでこの9月で104歳になり、彼は1961年にMercury Generalという保険会社を創業した成功者である。
現在のビリオネアは、第1位がElon Musk 4230億ドル(60兆円)、Jeff Bezo2830億ドル、Mark Zuckerberg 2520億ドルで、この3人で1兆ドル(150兆円)になり、上位100人のビリオネアの合計は3.86兆ドルになり、ビリノネア全体資産の半分以上を占めることになる。これらをみるとシリコンバレーからの富が多くを占めているように見えるが、ハイテク分野からのビリオネアは110人ほどである。実際の富は銀行を含む金融の分野から築かれているようで300人ほどがこの分野でビリオネアになっている。他には75人ほどは不動産分野で富を築いている。また、ビリオネアの3分の1は親からの遺産相続でビリオネアになっている。
ビリオネアの中で、Bill Gatesや Warren Buffettのように自分の富を積極的に多くの慈善団体に寄付を行うものもいれば、殆ど寄附を行わないビリオネアも多くおり、ビリオネアの4分の1は過去10年で100万ドル(1.5億円)も寄附をしていない。また、自分たちに繋がりのある慈善団体に寄付するビリオネアも多くいる。例えばヘッジファンドマネジャーのBill Ackman氏は彼と彼の妻が受託人となっている医療関連の基金に13.6億ドルほど寄附している。日本では、アメリカのビリオネアは慈善活動を活発に行う印象が強いが、実際には純粋な寄附はそうでもないようである。寄附を受け取る分野は教育や医療分野が多く、慈善団体としてはGates oundation, GAVI, The Vaccine Allianceが大きく、また人気が高いのはCentral Park Conservancy In New Yorkで89のビリオネアから1億ドルの寄附を受けている。また John Hopkins Universityは30のビリオネアから75億ドルの寄附を受けているが、その殆ど(50億ドル)はMichael Bloombergからである。毎年ビリオネア数が多くなる(その理由については後日ブログ述べるつもりだ)一方、世界的に貧富の差が広がっている。トーマス・ピケティは2013年の刊行した「21世紀の資本」の中で貧富の格差が大きくなる社会に警鐘を鳴らし富裕税の成果的な導入を唱えている。いずれにしてもアメリカのようなTRUSTがない日本では税が重すぎて1回相続が発生すると、いまやどんなお金持ちでも、超富裕層ではなくなる。従って日本の超富裕層はいかにしてアメリカに逃げ込むかを考えている者が増えてきている。当たり前である。
★ 推薦図書。
大嶋仁著 「日本文化は絶滅するのか」 新潮新書 900円+税
この国の始まりから続く、日本人特有の、ものの考え方や振舞など「目に見えない精神」がグローバリズムという現代世界の潮流に飲み込まれようとしている。和辻哲郎、西田幾多郎などの先人の思想をひもとき、日本文化の起源と構造、変容と危地を浮き彫りしている。なかでも聖徳太子に触れたところでは、「この世はすべて中身のないものだ、仏様だけが真実だ」感覚と具象の世界にどっぷり浸かっている人間にはわからない言葉であり、聖徳太子が日本仏教の祖と言われるのは、深い意味がある。この著は大変奥深く歴史哲学である。暑いさなか冷房に浸って、一読する価値はある。