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マイクロソフト共同創業者Paul Allen氏死去、ビル・ゲイツの嘆き

マイクロソフト共同創業者Paul Allen氏は10月15日、非ホジキンリンパ腫で死去した。65歳であった 。18日付のウォール・ストリート・ジャーナルにビル・ゲイツ氏が“How Paul Allen Changed My Life”という題で寄稿をしていて、注目すべき内容だった。

 

ビル・ゲイツ氏がPaul Allenに最初に会ったのは中学1年生の時で、「それ以来自分の人生は変わった。Paul Allenは自分より2歳年上で背が高く、コンピュターにかけては天才で、のちにクールな髭を蓄え自分には真似を出来ないタイプの人間だ」と述べている。中学時代は、学校にあったメーンフレームにつながった電動機械式タイプライターでよく遊んでいた。高校時代は暇さえあれば身の回りのありとあらゆる機械をいじくっていた。普通の高校生ならパーティがあれば夜、家をこっそり出ていくが、自分とPaulがこっそり出て行く先はワシントン大学のコンピューターの研究室だったので、今思えば本当にオタクのように聞こえるが自分たちは正真正銘のオタクだとも書いている。

 

この高校時代に多くの人がまだパソコンの存在を知らない頃、Paulは既にコンピューターチップが大きな影響力をもち、新しい産業を興すだろうと予言していた。あまり知られていないが、マイクロソフトが自分たちの最初のプロジェクトではなかった。最初の共同プロジェクトは”Traf-O-Data”と呼ばれ、街の道路の交通量をモニターしその情報を分析する機械であった。この機械は全く売れなく直ぐに撤退したらしい。

 

次の機会は1974年12月に訪れた。Paulと自分はボストンに住んでいて、Paulは働いており、自分はハーバード大学に通っていた。ある日Paulが見せたい記事があるということでニューススタンドに行ってみると、Popular Electronics誌の1月号に新しいコンピュターの特集記事があった。これは、パワフルな新しいチップで動くAltair 8800というものであった。Paulは僕の顔を見て、僕たちを抜きにしてこのようなことが起っていると言った。これは自分の大学生活の終わりであり、マイクロソフトの始まりでもあった。

 

当時チップは簡単に手に入るものではなく、チップを搭載したままコンピュターを動かしソフトウェアを作ることが難しかったものの、このような問題解決をしたのはPaulでありマイクロソフトに大きな貢献をした。また、Paulは難しいことを平易に説明できる特別なスキルを有していた。更に大人になるにつれて、芸術、自然や動物の保護、人工知能等広く関心をもち、追求を行った。Paulは自分よりもクールであり、ジミーヘンドリックスを愛し、“Are you Experienced ?”を弾いてくれた。Paulは正に自分と共に素晴らしい音楽を共有してくれた。彼はそんな人だった。彼は自分の生きざまを愛し、周りの人を愛し、それを見せてくれた。彼の寛大さは多くの分野に及び、彼の地元のシアトルではホームレスのシエルター、脳のリサーチ、芸術教育に力を入れた。また、Museum of Pop Cultureという素晴らしい博物館も建てた。

 

自分がPaulを思う時、彼は家族や友人を大事にする情熱家である。また、素晴らしい事を実行する頭脳明晰なテクノロジストであり博愛主義者でもある。彼が逝ってしまったことを寂しく思うとゲイツ氏は語っていた。

 

また、ブルーンバーグは、Paul Allen氏は260億ドル(3兆円)の資産を残したと伝えている。彼はSeattle SeahawksやPortland Trail Blazersのオーナーで有名であるが、彼の不動産、芸術作品、スポーツチーム、ベンチャーキャピタル投資は、彼と彼の妹が設立したVulcan Inc.を通じ所有されている。恐らく資産の詳細を紐解くには何年もかかるだろうと言われている。Paul Allen氏には奥さんも子供もいないが、様々なチャリティ、不動産デベロッパー、投資家が絡んでいるので、Vulcan Inc.の行方には全米の注目が集まっている。米国では相続税の申告期限は死後9か月なので、こちらもどうなるのか、アメリ人は大変気になっているという。

 

 

☆ 推薦図書 ☆
田中靖浩著 『会計の世界史』 日本経済新聞出版社 2200円+税
著者は、私と同業であるが、これほど教養の長けた会計士はいない。冒頭に出現するレオナルド・ダ・ヴィンチ、彼の父、ピエロ・ダ・ヴィンチから始まるヨーロッパ15世紀の物語。イタリアの世界に名だたる貿易立国、香辛料、ワイン、茶、陶器、織物といった輸入品を扱うことで世界一の名を欲しいままにしたヴェネツィア。勇敢にも、海賊や気候をもろともせず航海に向かったイタリア人。これをリズカーレ(英語のリスクの語源)という。それらの貿易の決済を司るバンコ(銀行の語源)など、本当に教養になる。
さらには「ヴェニスの商人」まで登場する。金貸しのユダヤ人が貿易商人アントーニオに金を貸した際、「もし、金を期限通りに返さなかったら、お前の肉を1ポンド取る」という契約書をまき、アントーニオが返せなかったので裁判所に訴えた。裁判所は、契約書通り「1ポンドの肉を取ってよい」という判決を出したので、ユダヤ人の金貸しは「それでは心臓の近くの肉を1ポンドもらう」と裁判所で言い放った。そのとき裁判所は、「肉は切り取ってもよい。しかし契約書に書かれておらぬゆえ、一滴の血も流してはならぬ」と言った。会計士が書いたとは思えない、おもしろい本である。

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